福島不忘スキークラブの由来

 

 

 明治44年(1911年)にオーストリアのレルヒ少佐が、高田の連隊でスキーの訓練を行った。これが日本におけるスキー元年であり、日本スキーの歴史のスタートである。その頃、ほとんど期を同じくして、オーストリア人のブンテン、クラッツアー、ウィンクラーの三氏が、五色温泉を訪れスキーを行っている。不忘会のルーツは、ここから始まったことになる。

 

   雪深い五色、板谷の人々は、それまで一日がかりで雪道を輪かんじきで往復していた。彼らは、そこに現われたスキーの一行を大歓迎し、早々、五色、板谷の宗川一族が、スキークラブを結成し、一本杖のツダルスキー流のスキー術の指導を受けた。五色、板谷は宗川一族であり、板谷の本家は、吾妻・不忘という酒の醸造家、宗川旅館は姉の経営、次男は福島の万世町で酒店を開業、この一族が、スキーに熱中した。その一人、次男の宗川栄吉氏が、福島にあって山岳(後の日本山岳会福島支部長)の伊藤弥十郎氏、郵便局長の本多芳太郎氏、国鉄の斎藤陽吾氏、同じく国鉄の斎藤啓介氏の諸氏に、市内各中学校、師範、高校のスキー部長に呼び掛けて、大正12年(1923年)に結成されたのが、不忘会スキークラブである。

 

   不忘の名は、板谷から南に見える尾根の広い山(五色の賽の河原)の名からとったもので、板谷の宗川で売り出した酒も不忘の名を冠している。また、不忘会のマークは、伊藤弥十郎氏のデザインで登山鋲のトリコニーを形にとりFUBOとローマ字にしたり、漢字にしたものである。昭和35年(1960年)に福島不忘スキークラブと改称され、現在に至り、平成15年には、創立80周年を迎えました。

 

 

 

 

 

 

 

   この文は、「福島不忘」創立60年記念誌、主に同誌に寄稿した

 

   今は亡き羽田善一氏の「不忘会の歩み」を参考にしております。

 

 

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